瞑想には全く興味がなかった。
でも「瞑想」の定義を変えた時、サーフィンそのものが私にとっての「瞑想」である事に気が付いた。
瞑想会の体験談を思い出したので、その話から書いてみます。
「瞑想会、すごくいいから行かない?」
と当時の知人から誘われ、主催も信頼している人だったので、行った事があった。
10年は経っていると思う。
場所は神楽坂だった。
当時は都内通勤だったので、会社帰りにその瞑想会に行った。
初めて神楽坂を訪れたが、なんか好きな空気感の町だなと思った。
12畳くらいあるようなスペースに皆で輪になって座った。
私は、胡坐をかく事ができないくらい体が硬かったので、最初からずっと体育座りをしていたと思う(今はピラティスやストレッチなどで多少柔らなくなったのでできる)
主催者と知人以外、全員知らない。
スピリチュアルな装いの人が多い。
ろうそくなんかも点いてたのかな。
ヒーリング的なBGMもかけられてたと思う。
普段あまりない雰囲気に飲みこまれつつも、始まるのを待っていた。
開始時間になり、最初に何やら瞑想のやり方とかの説明があったかと思うと、
「では目をつむって始めましょう~」
…(はじまった)。
しーんとなる部屋。
目をつむると人の気配はするも、しーんとしている。
音量小さめのヒーリング的なBGMがクリアに聞こえてくる。
しーん。
…。
…。
…。
……。
…………(汗)
(あ?私こんなとこで何やってんだっけ?)
って思い始めたらなんだかおかしくなってしまい、こみ上げてきた。
(あ、あかん、声に出して笑ってしまいそう)
(皆真剣になんか瞑想しとるけど、ナニコレ面白い!)
(ちょ、ここは耐えな。 みんなの邪魔はしてはいけない)
自分の中で何とか制してたので、私が笑っていることはきっと周りには伝わらなかっただろう。
20分か30分か忘れたが、ひっじょぉぉぉ~に長い沈黙時間を耐えw、どうにかみんなで仲良く瞑想するタイムは終わった。
(終わった、帰りたい)
だが、その後、一人一人今の瞑想で何を感じたか、などをシェアする事になった。
皆さん、真剣なお顔。
「気持ち良かった」
「龍が出てきた」
「~なメッセージが降りてきた」
「涙が出た」
皆さん、やり切ったような、寝起きのような表情で思い思いに感想や気付きを語っていた。
やばい。
自分の番だ。
「あ、あのー」
「すみません、今回瞑想初めてだったんですけど、」
「ええっとですね、」
「全然集中できなくて」
「しかも」
「途中からおかしくなっちゃって」
「笑いこらえるのに必死でしたw」
…言ってしまった。
私は正直に笑顔で本当の事を言ってしまった。
主催者「え?」
「あ、できなかったってことですね」
その後フォローなり、何かしら言ってくれてたのだが、まったく覚えていない。
内心、ひょっとしたら同じように瞑想できなかった人もいるのではないかと思い、そんな人にウケないかなーと思ってたのに、場の全員にドン引きされたように感じた。
誘ってくれた知人も、憐みの目で見ていた。
※知人は瞑想マスター
その感想は間違っていたようだった。
集中できないなりに、
「日常にはない空気感に、とても感情が揺れ動くのを感じました」
とか、それっぽくスピ的な感想を言っておいたほうが、皆がひきつる顔にはならなかったのではないか。(いや、あえて正直に言ったんだけど)
「自分だけ瞑想が出来なかった」という思いと、「皆をドン引きさせてしまった」という思いを抱え、がっくりと肩を落として帰宅したのは覚えている。
その後、知人からはまた行こう!と誘われたがしばらく断っているうちに、その知人とも疎遠になり、私の前から瞑想という言葉は消えてなくなった。
はい。体験談終わり。
そんな経験から「瞑想」に対していいイメージがなく、自分にはできないと思ってました。
また、その後、特に瞑想しようとも思った事もなく、私の中から「瞑想」というものはほとんど消えてなくなっていました←言い過ぎw
んでもなんと。
「サーフィンも瞑想」と聞いて、おおおお!と目からウロコだったので今こうやって書いています。
サーフィンのどこが瞑想か。
ものっすごい集中力です。
波がでかい時なんてフル集中です。じゃないとケガもしくは死ぬ可能性があります。
どこから波がやってきて、どこで割れそうか見極め、そこに向かってパドルでスピード調整し、波と調和したその一瞬で板に立つという一連の動作。
たくさん人がいる中で、ピークを掴み、そして誰にもぶつからないようにテイクオフ。
波が来たな~からテイクオフまで10秒~20秒程度です。
そこには集中しかありません。
頭で考えてられません。体に任せています。
これが、瞑想という事だそうです。
おお、あのエリツィン編集長もそんな事書いている!2014年の記事に。
エリツィンさんも「テイクオフの瞬間が瞑想」って書いてますね。
その一瞬の為に全てがかかっていますもんね。
これが瞑想だというなら、こればっかりやってます。
私はやっぱりテイクオフの瞬間が好きなんです。
波と調和した、自然に自分が許された瞬間。
ふわっと一瞬宙にでも浮いたような楽さ。
この瞬間がたまらなく快感なんです。
これが瞑想というのなら喜んで、
私は瞑想しに海に行きます。
↑
なんか斜めに降りてきているw
座禅して瞑想は意識散漫で全くできませんが、波に乗る一瞬のためだけの集中力はハンパないです。
私だけでなく、他のサーファーもそうでしょうし、他のスポーツでもそんな瞬間があると思います。
スポーツだけでなく、料理なども「何かしらに集中している時間こそが瞑想」。
結論、私にとっての瞑想は波との調和であり、その瞬間の為だけに人生をかけているようなものなんだなと、非常に腑に落ちたのでした。
貴重な話をありがとうございました。ともりんさま。
いじょう。