リクエスト?がありましたので、今回も己話を。
私は、何を隠そう、音痴です(キリっ
いや、隠してはいませんが、皆さんとカラオケに行く事はないと思って諦めてください。全て断ります。
行ったとしてもまず歌わないし、邦楽あまりわからないので、私がつまらないので帰ります。
音痴もそうですが、そもそも人前で歌うのが嫌いなんです。
そこまで音痴でもない、と皆さんフォローして頂けますが、
ともかく音痴だろうとなかろうと「人前で歌うのが嫌い」なんです。
泣きます。
こんなに嫌なことはありません。
いや、楽しそうだったじゃん?って思った方、
自分を封印して超無理してます。
カラオケが楽しくて好きな人というキャラになりきるように頑張ってました。
残りの人生、そんな無理はもうしません事をここに誓います。
さて、なんでここまで嫌いになったか、を過去を探ってみます。
1)幼少期
幼稚園児ってよく歌っている印象がありますよね。
私、しない子だったらしいです。
今でもその証拠に実家にその時にカセットテープがあります。
父「ちえちゃん、幼稚園でどんなおうた習っているの?何か歌ってみて?」
ち「えー、やだやだ」(すごい機嫌悪い)
父「ほらなんかないのー?」
ち「知らない、やだーーーー」
ち号泣
もう号泣しているんです。
ぎゃん泣き。いやだいやだって言って暴れてます。
その辺のもの投げてたんじゃないかな、たぶん。
あとで聞いてて微笑ましいと思ったと同時に、
当時幼いながらの本当にいやだったという心の痛みがわかります。
今これを書いてても痛い。
で、幼稚園の時でこれなもんで、歌うのがここまで嫌いになるのに、何かきっかけがあったのかどうか、ちょっとわかりませんw。
ひょっとして幼稚園の時にいやな事でもあったのかしらねぇ。わからん。
2)小学校の時
授業とかで一人ずつ歌わされたような気もするのですが、覚えておらず。
いやな記憶は封印した模様。
小学校の成績表あゆみによると小学校4年までは音楽の評価は普通のBでした。
問題は小学校5年から。
音楽の先生が変わって、小太りで背が低い、サングラスかけた見た目から変なおっさんになりました。
その人は生徒たちに課題を与えて、その課題を見てもらうべく、先生の個室に行き、歌うもしくは楽器の演奏をする、というミッションを与えました。
小心者の私は最初に1回くらいは先生の部屋に行ったと思います。
何言われたか覚えておりませんが、けちょんけちょんでした。
ともかく感じ悪いし、むかついた。
だから私はそれ以降、先生の部屋に行きませんでした。
もちろん、音楽はオールC(最低評価)に。
さて、成績表にCが載ってしまった。。。
成績表については、本当に母親がうるさくて、一つでもBがあるととことん怒られました。
いかなる理由があってもオールAを求められるという無駄に厳しい親でした。あ、ひとりっこだったんでね。
例えば算数の評価に「AABA」とあったら、ここのBについてなじられ、改善を求められるような親でした。
そんな親に恐る恐る音楽がオールCとなった成績表を渡したら、
母「あ、これはいいわよ、しょうがない」
とあっさり認める母親。
…なぜか。
そう、うちは両親とも音痴なんです。
母親も父親も歌に関するコンプレックスがあります。
なので、私についても諦めていた模様。
母親がたまに鼻歌歌ってますが、
いつもなんの曲なんだかよくわからない!
父親がカラオケセットみたいの買ってきて、友達が遊びにきただかで超酔っぱらって歌ってた事があったが、音外しまくりで皆にめちゃ笑われている!! (でも父親は楽しそう)
そんな感じで、音楽についてはCを取ろうと何も言われなかったし、自分が歌が嫌いなのは自覚していました。
母「あんたそれより、算数得意なんだから頑張んなさい。
そっちをオールAにすることに集中しなさい。」
ってな感じで救われました。
3)中学受験にて
ひとりっこ?だったので教育費をかけようと目論んだ親。
私もなんとなくで始めた受験勉強。
まあ遠くないところにある大学付属の中学を受験しました。
2/1 第一次試験。筆記。算数と国語だけだったおかげで合格。
受験番号1080番でした。覚えてる。
で、問題は第二次試験。
面接だけかと思って、当日行ったら、
なんと、
歌の試験がある!
楽器も引くの??
本当に面接の部屋に入ってから知ったんです。
前の人がなんかやってると。
げ。やばいやばいやばいどうしよう。
なーんの準備もしていない。
先に楽器だったかな。
とりあえず小学校でやってた「縦笛」を選んで、何か適当にやりましたが、練習も何もしてないので覚えていない。
途中でわからなくなって、
ち「すみません、わかりません」
と言って笛を置きました。
この時点で超涙目です。早くおうちにかえりたい。
先「じゃあ、歌のほうをお願いします」
もう何歌ったかも覚えていません。
でも
泣いてました私。泣きながら歌うちえぞー。何この拷問。
ただでさえ歌うのが嫌いなのに、こんな大切な試験の場で歌うだなんて。
先「あ、もう大丈夫です。」
先生のほうが不憫に思ったのか中断してくれて、この魔の時間から解放されました。
歌の面接が終わって、次は両親含めた親子面接。
その前に歌の試験があったよと伝えると
母&父「あぁ…」
落胆していました。
私の泣き顔が全て物語ってたと思います。
面接が一通り終わって、帰りの車はお通夜のように静まり返っていたのでした。。
以下につづく。