20年前の1998年10月24日、友人りつが息を引き取りました。
乳がんでした。
今年も命日にお墓参りに行ってきました。
りつとは小学校5,6年が一緒、高校の2,3年が一緒。
同じソフトボール部で家も近くだったので、毎日一緒に帰ってました。
社会人になっても、冬になるとスノボしに行ったり何かと集まってました。
でも彼女はそんな病気を抱えていた事、最初の手術を行っている時は我々に何も言いませんでした。
「実は病気で、再発しちゃって、、これヅラなんだ~」
っておどけてソフトボール仲間(まー、ひー、私)に発表してから亡くなるまで、本当にあっと言う間でした。
彼女が入院してた病院と、当時の客先が近かった為、私は会社帰りにこまめに顔を出してました。
私はリアルにそこで、若い人が徐々に力を、生きる力を無くなっていく様子を目の当たりにし、帰り道に一人になった時に、私が流してもしょうがない涙が出て、何か心に穴が開き始めたような、もう文字にはできないような様々な感情がありました。
たいした取り柄もない自分が生かされ、
男女問わず人気者だったりつが、この世から去ろうとしている。
早く、早くりつが生きているうちに友達に会わせないと。
必要最低限の知っている人に連絡して、入院先を伝えたり。
小学校の頃からりつと仲良かった子にも連絡しました。
(りつが亡くなったのちに彼女は自殺しました)
「ちえちゃん、りっちゃんが、りっちゃんが、連絡が付かなくてどこにいるかわからない」
10/23でした。病院から自宅療養に切り替える日。
りつの婚約者(同じクラス)であった彼からの泣きそうな電話。
りつは車での移動中に容態が悪化し、別の病院に緊急搬送され、そこで24日未明に息を引き取りました。
26歳でした。
最後に会ったのは亡くなる3日前、会社帰りに病院に寄った時。
薬でほぼ昏睡状態でしたが、ふと目が覚めると、「おお、ちえ」とコーラを飲みたがり、250ml缶を渡し、それを飲んでて、でも力が抜けて手から滑り落ちまた寝てしまい、しばらくしてそれに気が付いて「へへ」とおどけて笑っているというりつっちゃありつらしい様子でした。
これが私とりつの最後のやりとりでした。
お通夜と告別式はたくさんの方が訪れ、何度もりつの実家に行き、会社も落ち着くまで休みを頂き、当時自分ができる限りの事を夢中でしていました。
落ち着いて、ふと朝起きると。
自分には日常が待ってました。
当時実家だったので、朝起きると両親がいて、朝ご飯があり、食べて、今まで通り会社に行き、業務をこなして帰ってくる日々。
それから20年。
私は実家を出て、会社を2回変えて、結婚は…することもなくw、
たくさんの人と出会い、別れ、サーフィンを始めて、湘南に引っ越し、
結局3社目も辞めて今に至ります。
今年もりつのいるお墓の前で、皆で雑草を抜きながら、アホな話は繰り広げられます。
「もううちら46だし~」「いや、私はまだ45(キリっ)」「りつはまだ26のままだね~」「生きてたら今頃どうだったかね~」
と、りつがもし生きてたらネタで毎年盛り上がります。
今年は「りつは3回目の結婚でアジア圏の外人と結婚しているだろう」で落ち着きました。
最後に手を合わせて、こちらの近況報告しつつ、また来年も来るよと言って、お墓を後にするのでした。
今年もいい天気でした。
いじょう。